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問われる護憲 不敬に尻込みするメディアの矛盾

メディアは権力を監視するという、民主主義において国民の知る権利を担保する重大な責任がある。またその責任を全うするために、報道や表現の自由は最大限尊重されなければならない。公平でなければならないが、まぁ公平でいるのは無理だとも思う。ネット環境が希望する全国民に行き渡る現代においては、メディアの発信する情報のクロスチェックも比較的容易である。主張のスタンスが明確でさえあれば受け取る側も、そういうものだと受け取れる。事実を捻じ曲げる偏向報道さえしなければ、であるが。

問題なのは、メディアが都合よく主張のスタンスを変える場合が多々あることだ。ダブルスタンダードなその姿勢は、メディア自身の正当性の汚点となるばかりでなく、発信された情報に対する不信感にもつながる。正義であれとは言わないが、最低限自分達の正義感と心中するくらいの気概は持って欲しいものだ。

この問題を強く感じさせた事例がある。天皇生前退位を巡る一連の動きと、それに対する報道の実情だ。不敬を恐れず言わせてもらうなら、僕は今回の生前退位を認める事に反対である。陛下ご自身の「お言葉」から特例法成立までの流れに、重大な憲法違反の可能性があるからだ。国権を有しない筈の陛下のご意向にそって国政が動く。憲法をないがしろにしかねないその危険性に、疑義を唱える声があまりにも少ない事に戸惑いを感じずにいられない。

高齢の陛下が、天皇という立場を離れて静かな時間を過ごされる道が開かれた、その事自体は喜ばしいことだ。しかし、それとこれとは話の次元が違うのだ。日本国憲法は日本という国の根幹であり、憲法によって定められた象徴としての天皇もまた、日本という国の根幹だ。生半可な重みではないのだ。

憲法において、天皇は「国民」ではない。国民に保障される「基本的人権」は憲法の中では、天皇に適応されない。もちろん近代的価値観の中で、天皇に人権を認めないなどという論法は有り得ない。つまり天皇の「人権」とは何か、象徴たる天皇の地位を辞したいという陛下の「ご意向」は、その人権の範疇なのかという、この国の根幹を論じる極めて重いテーマである筈だったのだ。

皇室典範に退位の規定はないが、摂政を置いて国事行為を行う事は出来る。であるならば、今回はそうして頂くべきだった。その後に充分な時間をかけて、この極めて重いテーマに取り組めばよかったのだ。しかし、ご高齢の陛下の「ご意向」に沿い特別法で退位の道を作ってしまった。これは重大な憲法違反の可能性がある。

さらに問題なのが、普段は護憲を声高に主張するメディアから、この動きの違憲性を訴える声があまりに聞こえないことだ。違憲の疑いの度合いで言えば安保法制よりこっちの方が遥かにアウトだ。都合よく出したり引っ込めたりする主張では、人に訴える力を失ってしまう事をメディアは自覚しなければならない。

憲法の改正は、それもまた憲法によって定められた国民の権利だ。改正に反対する主張は大いに結構だが、それを「護憲」と呼ぶのだろうか。「人権」を憲法より上位におくヒューマニズムも、「陛下のご意向」を憲法より上位におくロマンティシズムと変わらない。憲法は文字列ではないし、護憲も言葉遊びではないはずだ。

 

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